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【レバレジーズを卒業しました】新卒入社からの6年間を振り返りつつ、レバレジーズへの愛を語る(その2:レバに入ってやったこと、レバテック編)

レバレジーズに入ってやったこと、レバテック編

どうも、afroscriptです。

レバレジーズ卒業エントリ、その2です。

今回は、「レバに入ってやったこと、レバテック編」です。レバテックでの法人営業から、エンジニアを目指した2年目、そしてteratailとの出会いまでを書いていきます。

※その1「なぜ新卒でレバレジーズに入社したか?」はこちら

レバに入って何をしてきたか?(レバテック編)

レバテック時代

最初の配属は、フリーランスのエンジニアと企業をマッチングしていくレバテックというサービスで、それの法人営業がメインの担当でした。

法人営業1年目

研修2日目のうたた寝から始まった

2013年4月に入社し、1週間の新卒全体での研修を終えたあとレバテック事業部に配属されました。

滑り出しは、まぁ最悪でした(笑)。配属から2日目の研修で、1対5の少人数研修にもかかわらず…研修担当の先輩の目の前で寝てしまうという...orz (それを機に部内では、新卒に寝てるやつがいる!という形で僕の存在が広まり、「眠りの小五郎」というコードネームがつけられました。笑)

新卒が結果残すために大切にしていた3つのこと

でも、そこからは一応真面目に(?)頑張りました。 当時大事にしてたのは、下記の3つ。

  • ①むやみやたらと頑張って、頑張ってる感出す(特に量)
  • ②雑用巻取りまくる
  • ③とりあえずなんでも「やる!」って言っちゃう

※詳しくは過去にFacebookに昔投稿したので、こちらをどうぞ。

で、上記繰り返してたら、だんだん社内外ともに信頼されるようになり、それにつられて営業成績も上がっていき、トップ成績も狙えるレベルにはなっていきました。

「エンジニアは魔法使い」営業以外に勝手にやってたイベントやインタビューでIT界にハマっていく

また、③にもありますが、営業以外もいろいろ挑戦させてもらいました。

ヒカラボというIT勉強会の企画・運営をやったり、今はもうなくなたったんですがレバテックタイムという記事メディアでライターの端くれをさせてもらったり。

どちらも、「社内でやりたい人ー?」みたいな募集がかかって、迷わず「ハイ!」と言ったらそのままやらせてくれてたので、そうゆう雰囲気はとてもありがたかった。

また、メインの法人営業でもかなり自由にやらせてもらってました。「ただ人材の営業だけしててもつまんないな。もっと担当企業にいろんな形で価値提供したいな」と思って、勝手に担当企業にインタビュー企画提案して、そのまま取材・編集までやったり、担当企業の採用イベントを企画・運営させてもらったりなどなど。

多分最初にインタビュー企画を突撃したのがこの記事。 career.levtech.jp

「エンジニアって魔法使いだとほんとに思っています」って言葉が今でもすごく印象に残ってて、僕がITという世界にドハマりするきっかけになった言葉でもあります。

"人"軸での就職決断は間違ってなかった。

その1の記事で、"人"を軸にレバへの就職を決めたと書きましたが、やはりその点は間違ってなかったです。みんな本当にいい人ばかりだったし、勝手にいろいろ教えてくれるし、いつも目にかけてくれました。

印象的なエピソードとしては、1年目の10月くらい、外出中に初めて大きめのトラブル起こしてしまったとき。

当時は女性のリーダーが上長で、「すみません、こういうこと起きてしまいました」って電話で報告したら、怒るよりも先に「大丈夫!?すぐ行こうか!?」と僕のことを心配してくださってて、心強いなと思いつつも「自分で対処してみます」って言ってその場はなんとかなったんですが、あとから話を聞くと、社内でその上長は、コート着ていつでも出れる準備をしてくれてて、ケータイ握りしめながら「キノピー、大丈夫かな…?」ってずっとソワソワしてくれてたらしい。

そして会社に戻って、怒られるかなーと思ったけど、その上長も他の先輩方も笑顔で「キノピー、やっちゃったね~!ま、誰でもそういうことあるよ!」って笑い飛ばしてくれて、その後「じゃ、次から同じことしないようにどうしたらいいかな?」って一緒に整理してくれて。すごく救われた。「あ、失敗してもいいんだ」という安心感を感じた瞬間でした。

「伝説を残せ」

もう1つ、この頃の印象深いものだと、当時の事業部長からもらった言葉、「伝説を残せ」です。配属後すぐの事業部長研修で、「普通の仕事を普通にして終わるな。『あいつ、伝説を残したな!』と世に言われるような仕事をしろ!お前らはどんな伝説を残すんだ?」...とそのような背景で頂いた言葉だった気がします。この言葉は今でも、僕がどんな仕事をするときでも、根底にありますし、後輩にも周囲のメンバーにも言い続けてる言葉です。

法人営業2年目

事業部MVPとったけど、エンジニアになりたい!

2年目の4月。順調に営業成績が上がっていった僕は、ついに月間の営業成績トップになれました。その他、イベントやらライターやらも並行してやってて、その辺も評価してもらってたのもあり、初めて事業部月間事業部MVPをもらうことができました。

他の事業部の同期が、1年目やインターンの時にすでに営業トップ取っていたり、リーダーなってたりしてて、僕はまぁまぁくらいの成長スピードかなーと思ってたけど、やっと目に見える成果を出せたのはとてもうれしかった。

ただ、それと同時に「なんかうれしさ80%だな~」とも思ってしまいました。 営業で数字出すのは楽しいんですが、「何かを世に生み出したい!」って思いがあって。

というのも、もともと大学時代は、アフロ(それがafroscriptの由来)にしてて、"フリースタイルバスケットボール"というバスケットボールを使ったダンスのようなものをやってたりするんですが、「世の中に作品を生み出す」というのが好きだったんですよね。

なので、仕事でも、もっと「生み出す」ことをしたいと。それで、1年目からこっそりプログラミングを勉強してて、学べば学ぶほど表現できるものが増えていくことに楽しさを覚えていたのもあり、このタイミングで「エンジニアになりたいです!」と会社に伝えました。

エンジニアになりたい思いと、営業でも負けたくない思いの葛藤

エンジニア志望の意向を先輩や上長に伝えたところ、「えぇーーーー!!MVPとったのに、まさかのーーーー!!」って感じの反応でした(笑)。しかし、エンジニアになりたい強い想いを必死に伝えたのと、1年目から技術についてはめっちゃ勉強してたのを見てくれてたのもあり、「そこまで言うなら応援するよ!」ということで、「現場に入れるレベルまで達したらエンジニアとして受け入れる」ということに。そして、当時の人事部長と社内の一番すごいエンジニアが月に1回面談してくれて、前月の振り返りと翌月の宿題を出す機会もつくってくれました。

こうして、晴れてエンジニアを目指し始めるのですが、ただ営業も負けたくなかった。 また、ヒカラボも好きで続けてたので、当時は、22~23時くらいまで仕事して、そのあとファミレスとかで夜中の3時くらいまでプログラミング勉強して、また朝9時に出社する、といった生活をしてました。

お盆休みも遊びに行かず、友達の結婚式にも行かず(←なんてヤツだ!笑)ずっと勉強してた気がします。

(たまに「よくそこまでやれましたね?」って言われますが、頑張ってるというよりは、仕事(営業等)もプログラミングも僕にとっては、おもしろいおもちゃを見つけてしまったようで、ただただ楽しかった。たまたまおもしろいソシャゲにハマってしまって、夜更かししてるくらいの感覚でした。)

しかし、これだけ勉強してても、エンジニアになるのは難しいなと思い始めたのが冬くらい。 当時、かなり時間は捻出してて、月80~100時間くらいは勉強してたんですが、ふと考えたら、どんなエンジニアでも業務時間である月160時間は、少なくとも開発に時間割いてるのに、僕が月80時間程度勉強しても絶対に即戦力レベルまでは追いつけないなと。

そこで、実は休職したいと会社に申し出たりしました。それか、社長とトイレでたまたま会って話してて、「ベトナムに籠もって勉強する?(休職するくらいなら、給与下げてもベトナムなら物価安いから生活水準下げずに勉強できるから、そっちのがいいんじゃない?という意味)」って話も出たり。

teratailとの出会い

そんなこんなでもんもんと調整しているときに、まったく別の角度から声をかけてくれたのが、teratail創始者であり、現在レバレジーズの執行役員をやっている藤本直也(通称:ふじもん)でした。

突然MTGルームに呼び出され、「teratailの広報やりませんか?」と。しかし、「ん?広報?いや、俺エンジニアなるからやらないよ」が最初の答えでした。あっさりと断ってしまいました。笑

ただ、当時teratailはリリースして4ヶ月ほどのタイミングでもあり、僕自身立ち上げというものには興味あったので一応もうちょっと詳しく聞いてみようと、

木下「広報って何するの?」

藤本「分かんないっす。」

木下「(笑)」

藤本「今社内に広報やってる人いないんで、広報とは何か?って考えるとこからですね」

木下「(う~ん、よく分からんw)とりあえず、teratail盛り上げるためにおもしろいこと考えてやればいいのかな?」

藤本「あ、そんな感じっす。」

というような会話をして、「あー、それなら自由そうだし、面白そう」と思い、次に話したときに「じゃ、行くよ」と伝えました。

まぁ、そもそもエンジニアを目指したのも、何かを生み出したいという思いからでしたし、まだまだ立ち上がったばかりのサービスで、しかも、その月にstackoverflowの日本版が出てきたのもあって、社内では「teratail潰れるのでは?ザワザワ」って感じのタイミングもおもしろいなと。 なにより、エンジニアがいるチームで働けるので、「エンジニアの勉強で詰まったとき、すぐ聞けるじゃん、ラッキー」ってのもあり、行くことを決めたのでした。

その3へつづく。

その1はこちら